tAmaoの徒然日記

転職を繰り返す中で思ったことや学んだことを蓄積していくtAmaoの知識保管庫

東京・建築巡りの旅〜私の不安を消化するには〜

 

 

tAmaoです。

 

ブログの更新が滞っていました。

連休を利用して、東京へ行ってまいりました。

2日に夜行バスに乗り、3日の早朝に到着。

 

荷物を宿泊先に預け、その後、某建築スクールへの説明会に参加しました。

 

夕方は、高円寺のやよい軒でご飯を食べ、

せっかくだからということで、読書カフェなるものを見つけ、そこでチャイティーを飲みながら静かに読書をしました。

 

f:id:t8m8k1ai0803:20180506221632j:plain

 

素敵な読書館で、また行きたくなりました。

で、その日はこれで終了。

 

翌日は10時前に宿泊先を出て、

一旦東京駅のロッカーに荷物を預けました。

 

そしてそのまま東京ステーションギャラリーへ。

 

f:id:t8m8k1ai0803:20180506221853j:plain

 

隈研吾「くまのもの」展へ行ってきました。

写真撮影可能な展覧会で、

竹や土、紙などの素材を利用して作られたオブジェが多く展示されていました。

 

f:id:t8m8k1ai0803:20180506221927j:plain

 

下のは東京オリンピックのメイン会場、新国立競技場の模型です。

f:id:t8m8k1ai0803:20180506222008j:plain

f:id:t8m8k1ai0803:20180506222141j:plain

 

f:id:t8m8k1ai0803:20180506222224j:plain

f:id:t8m8k1ai0803:20180506222307j:plain

f:id:t8m8k1ai0803:20180506222339j:plain

 

さすが隈研吾

建築ファンが非常に多かった。

 

図録を購入する予定はなかったんですが、ついつい買ってしまいました。

 

その日のメインイベントは隈研吾で終わったのですが、

その時点で昼12時。

帰りの夜行バスは22時。

まだまだ時間があったので、電源のあるドトールカフェで昼食をとりながら次に行く場所を模索。

 

国立新美術館とか、天王洲にある建築倉庫もいいなぁってなったんですが、

結局六本木にある森美術館へ行ってきました。

 

ここでも「建築の日本展」という建築展が開催されていました。

横で少年ジャンプの展覧会なるものがあって、大行列でしたが、

それを横目に建築模型を見てきました。

 

f:id:t8m8k1ai0803:20180506222417j:plain

 

ついでに展望台へもあがれたので、そこから東京を眺めました。

 

f:id:t8m8k1ai0803:20180506222505j:plain

 

いやぁ、さすが都会だなぁと圧倒されました。

 

ネットでは私の地元岡山は、「大都会岡山」なんて揶揄されていますが、

もちろん比べ物にならないくらい東京は大きいです。

 

 

大満足の旅になりました。

 

最近は友人の結婚式で遠出する以外に旅行をする機会がめっきり減っていました。

 

都会は人が多くて疲れるし、物価も高いから大して面白くないだろう、

なんて先入観もありました。

 

今回、一人旅をして、自分の行きたい所だけに行ってきましたが、

東京の魅力を肌で感じた2日間でした。

 

本を読むためだけの静かなカフェ、

いままで聞いてきたものとは比にならない魅力的な建築スクール、

アルバイトでもどうにか生活できると期待できる時給額、

そして、なんといっても私が大好きな美術館があんなにたくさんある。

一本電車乗るだけで(むしろ電車賃をケチって歩いていける距離で)、

魅力的な美術館や展覧会が多く開催されている。

美術や建築の専門店も多く、

見ているだけで飽きることのない。

 

残念ながら、岡山にはない魅力や可能性が多く詰まっていました。

 

私は、地元では常に何かに怯え、緊張感を持ち、不安でいっぱいになっていました。

それはうつ病の症状の一つでもあります。

 

今回の旅行で、私の不安に名前をつけることができました。

 

それは、「見えない将来」です。

 

ものすごく安直な回答ですが、本当にこれです。

 

私は、大学のあった下関から岡山へ戻ってきてから、ずっと違和感を覚えていました。

 

なぜ、自分の生まれ故郷なのに、こんなに生きづらいのだろう、と。

 

何をやっても上手くいかない、

何を言っても、小馬鹿に笑われたり否定されたりしているように感じる。

 

私って、そんなに変なこと言ってるのだろうか?

いままでそんなこと言われたことなかったのに・・・。

私がおかしいのか、私が間違っているのか、

私はダメな人間なのか、私はいらない人間なのか、

 

その考えで頭が支配されていました。

 

その歪んだ認知により、私は私自身をイジメていました。

周りではなく、他ならぬ私が、自分を痛めつけていました。

 

岡山へ戻ってきてから、私は私をずっと苦しめていたのです。

 

 

 

私は、幼い頃から両親(特に父親)の顔色を伺いながら生活していました。

長男だった兄が、父の期待に応えられずに泣く姿を見て、

「あ、私はああならないようにしよう、怒られないようにしよう」と自然に思っていました。

結局、高校も大学も、両親基準に考えました。

 

初めて自分基準で考えられたのが、

親元を離れて一人暮らしをした大学時代。

 

ですが、その時の私は、それほど親基準になっている自分に気づきませんでした。

それどころか、大学1年のGWに、兄とともに聞かされた両親の離婚話から、

「卒業したら岡山へ戻ろう、母のそばにいよう」という固定された思考が頭の中にありました。

我が強く、頑固で思い込みの激しい私は、

その思考を変えることは一切なく、結局岡山へUターン。

 

土地柄もありますが、幼少期から高校時代まで過ごした岡山。

やはり子供の頃の性格というか、振る舞いが出ているように感じます。

幼い頃から親基準で、人見知りが激しく、人を怖がって警戒していた私、

そのころの自分がまざまざと現れているように思えます。

 

 

私の感じる不安は、

そんな幼い頃の弱い自分が本当にこの地で受け入れてもらえているのか、

本当は邪魔だと思われているのでは、

という恐れから出ているのでしょう。

 

 

ようやくここまで掘り下げられて、少しほっとしています。

 

 

やっと、闇雲に悩んでいたものから抜け出すきっかけを見つけたような気がします。

 

悩み解決の糸口を一つ見つけると、また新たな悩みが生まれてくる。

またそれをどう解決するかで悩んでもがく。

 

なんだか悩みに振り回されますが、どうにかなればいいなと思います。

 

 

長々と、書かせていただきました。

 

ここまで読んでくださった方々ありがとうございました。

 

連休明けの五月病にはお互いくれぐれも注意しましょう!!!

 

では( ^_^)/~~~

 

f:id:t8m8k1ai0803:20180506222600j:plain